猫を描き始めた理由

猫の絵

 

「ウギャ〜!ウギャギャ〜〜!!」

ある日机で絵を描いていると、外の駐車場で猫のすごい声がした。

見ると我が家のミミちゃんが近所の一回りも大きなボス猫にのしかかられていた。

「わ、わ、ミミがやられてる!!」

当時住んでいた所は引っ越しをして間もない場所だった。

ミミは去勢をしている雌猫で、通常雌猫はボス猫に虐められないものなのだが、去勢をしている猫は別扱いだ。

おまけに新入りなので尚更の事。

慌てて「ミミ〜〜!ミミ〜〜!!」と僕が叫ぶと、

その声を聞いてボス猫が一瞬こちらを見た隙にミミが慌てて部屋に飛び込んできた。

酷い目にあったね〜〜、ミミは僕の机の上で大急ぎでに体を舐めている。

猫は自分の体を舐める事で落ち着きを取り戻そうとする。

どれくらい舐めていただろうか。

多分30秒くらい?

すると驚いた事におおあくびをしたかと思うと寝始めた。

へ??もう落ち着いたの??

その時に思った。

ミミにとってさっきの事はもう終わった事、過去の事なのだ。

僕だったらどうだろうか。

外に散歩に出かけ、近所のヤクザに捕まってボコボコにだれたらそんなに早く冷静になれただろうか。

夜になっても気に病んで明日も散歩中にやられるんじゃないかと落ち込んでいるに違いない。

その時気が付いた。

あぁ猫は今を生きている。

過去で今はもうない事で、明日はまだ来ていないからこれもない事、つまり「今」が全てなんだと気が付いた。

考えてみれば人の悩みは過去の事と未来の事がほとんどだ。

どちらも今はない事なのだ。無い事で悩んでいる。

無い事で悩む事自体馬鹿げている。だって無いんだから。

そうは分かっていても人間そう簡単に変われるものではない。

僕などは描いた絵が失敗すると暫く絵を描く気にさえならない。

1ヶ月かかて描いた絵が失敗すれば落ち込みは大きい。

あぁこの生き方は是非とも学びたい。覚えたい。

それになんだか直感の様なものがある。

猫を描くべきだ。

どうもこういう所が皆なから変わっていると言われる原因なのだろう。

その時まで夢で見た世界を描いていたのだが、それから猫だけを描き始めた。

僕が猫を描き始めると言うと友人たちの中には

今の絵が売れているのだからやめた方がいいと忠告してくれる。

中には「猫の絵が売れると思っているんだろう」と馬鹿にする作家までいたが、

元々本当の幸せの意味を知るために道を歩き始めたのだ。

自分らしく直感に従おう。

そうとは言え、猫を描き始めれば今までの絵のファンは離れるだろう事は分かっていた。

つまりまた貧乏と戦わなくてはならない。。

実際当時描いていた夢の道のシリーズは1点60万円〜80万円の絵がほとんどで、

嬉しいことに展覧会をひらけばほとんど売れていた。

流石に僕も躊躇したがやっぱり描きたいものを描かないのは自分らしくない。

それにいくら悩んでも結局猫を描く事になるのは分かっていた。

性分だ。

変わるべき時は変わらなければならない。

と友人たちに力説するが、

「じんペーは変わってるな」と言われるばかりだった。

はい。確かに。少しだけそう思っています。少しだけ。

結局猫の絵は4年ほど描いた。

しかし次のシリーズ、今も描き続ける「太陽」に導いたのは猫だった。

今考えれば当時の決断は間違っていなかったと思える。

それに当初の目的でもあった気持ちの切り替えがかなり上手くなった。

体と頭と心が覚えた。

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